

生成AIの普及によって企業がAIを業務に組み込む動きが急速に広がる一方、知的財産権侵害や偽情報の生成といった、AI特有の社会的リスクも増大してきました。同時に、法律の整備は技術発展のスピードに追いつきにくく、細かな行為義務を課すルールベースの規制はイノベーションを阻害しかねないとも指摘されてきました。こうした背景から、関係者による自主的な取組を促す非拘束のソフトローとして、総務省と経済産業省がそれぞれ策定していたガイドラインを統合・見直す形で、AI事業者ガイドラインが2024年4月に策定されました。以降、リビングドキュメント(動的文書)として随時更新が重ねられ、2026年3月31日公表の第1.2版に至っています。
その第2部Eには「AIガバナンスの構築」という章が置かれ、組織としてAIリスクに対応するための実践の型が示されています。認証や届出の手続はありませんが、第2部のC 7)アカウンタビリティは対応状況についてステークホルダーへ説明を行うことを各主体に求めており、その際に示せる記録は日々の運用の中でしか積み上がりません。原文も、取組が社会から不十分と評価されれば事業活動における機会損失につながりうる一方、留意すればAIによる便益の最大化や競争力の強化につながるとしています。本記事では、なぜこの章が置かれているのかを確認したうえで、その内容と実務担当者が最初に着手すべき事項を整理します。
本ガイドラインが独立した章を割いているのはAIガバナンスが「共通の指針」を実際に動かすための手段として位置づけられているためです。本ガイドラインは目指すべき社会像である「基本理念」(why)、各主体が取り組む「指針」(what)、具体的にどのようなアプローチで取り組むかという「実践」(how)の三層で構成されています。第2部Cの「共通の指針」10項目はwhatにあたり、これを日々の業務で回すための仕組みがAIガバナンスです。第2部Eの冒頭もバリューチェーン全体で「共通の指針」を実践していくためにAIガバナンスの構築が重要となると述べています。もう一つの理由は対象となるリスクが固定されないことです。第2部Eはサイバー空間とフィジカル空間を高度に融合させたシステムを基盤とする社会は複雑で変化が速く、AIガバナンスが目指すゴールも常に変化していくとしています。個別の対策を一度実施して終わりにできる前提が置かれていません。
AIガバナンスとはAIの利活用によって生じるリスクをステークホルダーにとって受容可能な水準で管理しつつ、そこからもたらされる正のインパクトを最大化することを目的とする、技術的・組織的・社会的システムの設計と運用を指します。個々の機能や製品ではなく、組織の仕組みを対象とする概念です。第2部Eはこの構築にあたって「アジャイル・ガバナンス」の実践を挙げています。特徴は事前にルールや手続を固定しない点にあります。原文は次のように述べています。
事前にルール又は手続が固定されたAIガバナンスではなく、企業・法規制・インフラ・市場・社会規範といった様々なガバナンスシステムにおいて、(中略)サイクルを、マルチステークホルダーで継続的かつ高速に回転させていく
つまり、チェックリストを埋める形の対応ではなく、環境の変化に応じて目標そのものを見直し続ける運用が想定されています。背景にはAIをめぐる技術と社会実装の速度に、固定的な手続が追いつきにくいという前提があります。
なお、具体的な検討にあたっては開発・提供・利用するAIがもたらすリスクの程度と蓋然性、そして各主体の資源制約に配慮することが重要であるとされています。組織の規模にかかわらず同じ水準を求める記述ではありません。
第2部Eは、具体的な取組を5段階で示しています。
| 段階 | 内容 |
|---|---|
| ① 環境・リスク分析 | 便益とリスク、社会的受容、外部環境の変化、AI習熟度を踏まえて分析する |
| ② ゴール設定 | 開発・提供・利用の可否を判断し、行う場合はAIガバナンス・ゴールを設定する |
| ③ システムデザイン・運用 | ゴール達成のためのAIマネジメントシステムを設計し、運用する |
| ④ 評価 | 有効に機能しているかを継続的にモニタリングし、評価と改善を行う |
| ⑤ 外部環境の変化 | 規制等の社会的制度の変更を踏まえ、再び①へ戻る |
ここで注意したいのが②ゴール設定です。AIガバナンス・ゴールは各主体が自ら設定するものであり、原文は呼称についても各主体に委ねられていると明記しています(第2部E 脚注54)。何をどこまで満たせば十分かという水準が、外部から与えられない構造になっています。このゴールは各主体の理念・ビジョンといった経営上のゴールと整合させることが求められており、担当部門だけで完結する設計にはなっていません。第2部Eの末尾でも、経営層がリーダーシップを発揮し、AIガバナンスの構築を単なるコストではなく先行投資として捉えることの重要性が述べられています。
実務担当者が準備すべきこと
第2部Eには認証や届出の手続が規定されていないため、以下はいずれも社内での整理作業になります。
第2部Eは、バリューチェーンを念頭に置くことも求めています。学習及び利用に用いるデータや生成されたAIモデルに関する権利関係の契約など、自社単独で完結しない論点が例示されています。
第2部Eが求めているのは個別の対策の実施ではなく、リスク対応のサイクルを組織として回せる状態です。目標水準が外部から与えられない分、自社で定義し運用した記録そのものが説明の根拠になります。既にリスク分析・モニタリング・文書化の仕組みを持つ組織であれば、その多くは第2部Eが示す各段階に位置づけ直すことができます。新たに必要となるのは、AI固有のリスクをどこで識別するかと、自社の目標水準をどう定義するかの2点です。なお、本ガイドラインは自動車をはじめとする個別分野の規制に言及していません。自社製品にAIを組み込む場合には、既存の分野別規制への対応とは別に、AI開発者・提供者・利用者のいずれに該当するかを確認し、本ガイドラインが示す枠組みも検討対象に加えることになります。
本ガイドラインが目指しているのはリスクの緩和とイノベーションの促進を両立させる枠組みを、事業者自身が関係者と連携しながらつくり上げていくことです。細かな行為義務を課さない形式が選ばれているのは何をすべきかを外部が決めるのではなく、各事業者が自らの事業に即して判断することを前提としているためです。AIの開発・提供・利用に関わる事業者にとって、本記事で整理した内容は、その判断の出発点にあたります。ゴールを自ら定義して記録を残しながら運用する体制を先に整えておけば、参照すべき文書が増えたときにも、そのつど一から組み立て直す必要はありません。
参考サイト:AI事業者ガイドライン