

`国連欧州経済委員会(UNECE)の自動車基準調和世界フォーラム(WP.29)は2026年6月24日、自動運転システムに関する国連グローバル技術規則、いわゆる「ADS GTR」を採択しました。UNECEは、並行して策定されたADSに関するUN Regulation案についても採択したと公表しています。ADS GTRが扱うのはステアリングやブレーキといった一つの機能だけではありません。自動運転システムの設計、試験、安全管理、市販後の監視までを含む、車両ライフサイクル全体の安全性です。
ただし、ADS GTRの採択によって日本国内で直ちに新しい義務が始まるわけではありません。UN GTRは1998年協定に基づく技術基準であり、型式認証や認証の相互承認を直接定めるUN Regulationとは性格が異なります。国内での適用範囲や時期は、今後の国内制度への反映内容を確認する必要があります。本稿では、ADS GTRの基本的な仕組みから、車両メーカーやサプライヤーが確認すべきポイントまでを整理します。
ADSに関しては、1998年協定に基づくADS GTR(ECE/TRANS/WP.29/2026/139)と1958年協定に基づくUN Regulation案(ECE/TRANS/WP.29/2026/137)が並行して策定されてきました。両文書は別々の安全思想から作られたものではなく、ADSの安全性を国際的に調和させるという共通の目的のもと、同じ検討プロセスを通じて整備されています。つまり、ADS GTRがADSの安全性について国際的に共有する「技術的な評価基盤」を示すのに対し、UN Regulation案はその安全要件を型式認証制度の中で実際に確認するための仕組みまで含むという違いがあります。
この二つの枠組みが並行して整備されることで、認証制度が異なる国・地域であっても、ADSの安全性について共通する考え方を利用しやすくなります。一方、日本でどの要件が、いつ、どの制度を通じて適用されるかは別の問題です。ADS GTRの採択だけをもって国内で直ちに新たな義務が発生すると捉えず、今後の国内制度への反映と、UN Regulationの動向をそれぞれ確認する必要があります。
ADS GTRは自動運転システムの安全性を国際的に共通の考え方で評価するための技術規則です。ADSは「Automated Driving System」の略称で、車両のハードウェアとソフトウェアが一体となり、動的運転タスク(DDT:Dynamic Driving Task)全体を継続して実行するシステムを指します。DDTには周囲の車両や歩行者、道路環境を認識する機能、他の道路利用者の動きを予測して走行方法を判断する機能、ステアリングや加減速を制御する機能が含まれます。ADSという用語は基本的に自動運転レベル3からレベル5のシステムを対象として使われています。
ADSの評価が従来の車両試験と大きく異なるのは確認すべき走行条件や交通状況が非常に多い点です。例えば、同じ自動運転機能でも、高速道路だけで作動するもの、特定地域の低速走行を対象とするもの、雨天や積雪時には利用できないものがあります。このように、ADSが作動できる道路、速度、天候、交通条件などの範囲をODD(Operational Design Domain:運用設計領域)と呼びます。ADSの安全性を評価するには、まずODDを明確にしたうえで、その範囲内で発生し得る通常時、危険時、故障時の状況を確認する必要があります。
しかし、すべての交通状況を実車試験だけで再現することは非常に難しいです。発生頻度が低いシナリオや衝突の危険を伴う状況については、公道やテストコースだけでは十分な検証ができません。そこでADS GTRでは、特定の試験に合格したかどうかだけでなく、複数の評価方法を組み合わせて安全性を確認する「マルチピラー・アプローチ」を採用しています。主な評価方法は次の四つです。
各方法には、それぞれ異なる役割があります。シミュレーションは多数の条件を効率よく検証することに適しています。テストコースでは危険な状況を管理された環境で再現できます。実走行試験ではセンサー認識や他の道路利用者との相互作用など、実環境でなければ確認しにくい性能を評価します。さらに、個別の試験結果だけでなく、メーカーがどのようにリスクを特定し、なぜその試験方法やシナリオを選んだのかも評価対象になります。つまりADS GTRは「決められた試験を通過すれば安全」と判断するための規則ではありません。ODDに応じたリスクを整理し、設計、試験、安全管理体制から得られた証拠を組み合わせて、ADSの安全性を体系的に説明するための枠組みです。その基本目標として示されているのが、混在交通において「有能で注意深い人間のドライバーと同等以上」の安全水準です。メーカーには、その水準をどのような設計と検証プロセスによって実現したのかを、複数の証拠に基づいて説明することが求められます。
ADS GTRではADSに「有能で注意深い人間のドライバーと同等以上の安全性」を求めることを基本的な安全水準としています。その上で、車両の走行性能だけでなく、開発時の安全管理、市販後の監視までを一つの枠組みで評価します。ここでは、実務上押さえておきたい六つの要件を整理します。
メーカーはADSを使用できる道路、速度、気象、交通条件などを明確にします。ADSは、そのODD内で周囲を認識し、判断し、車両を制御するDDT全体を実行します。ODDの条件を外れる場合やシステムに異常が発生した場合にはフォールバック応答を行います。必要に応じて利用者へ運転を引き継ぐか、車両を安定して停止させるリスク低減状態(MRC:Mitigated Risk Condition)へ移行します。規則案ではフォールバックユーザーへの引き継ぎを必要とする機能をADSF-1、引き継ぎを必要としない機能をADSF-2として区別しています。
ADSが利用可能なのか、作動中なのか、解除されるのかを利用者が理解できる形で表示する必要があります。特に引き継ぎを伴うADSでは誰が運転タスクを担当しているのかが曖昧にならない設計が重要です。また、表示や警報を分かりやすくするだけでなく、利用者による誤使用や操作ミスを防ぐようADSを設計することが求められます。
安全管理システム(SMS:Safety Management System)はADSの安全を組織的に管理する仕組みです。技術だけでなく、担当者の能力、組織内の責任、リスク管理、変更管理などを含みます。Safety caseはADSが要求事項を満たし、不合理な安全リスクがないことを説明する文書体系です。「安全である」という主張だけでなく、主張、論拠、試験結果や分析データなどの証拠を論理的に結び付けます。つまり、試験に合格したという結果に加え、「なぜその試験で十分と判断したのか」まで説明することが求められます。
ADSの評価では通常の運転状況だけでなく、衝突リスクが高まる状況やセンサー・制御系に故障が発生する状況も扱います。規則案では交通状況を通常シナリオ、クリティカルシナリオ、故障シナリオに分けています。さらに、文章で表す機能シナリオから具体的な数値を設定した具体的なシナリオまで段階的に詳細化する考え方が示されています。企業はODD内で発生し得る状況をどのように抽出し、試験シナリオへ変換したかを説明できるようにする必要があります。
ADSはセンサー、通信、ソフトウェアに強く依存します。そのため、サイバー攻撃や不適切なソフトウェア変更が安全性能に影響しないよう管理する必要があります。実務上はUN-R155のサイバーセキュリティマネジメントシステム(CSMS)やUN-R156のソフトウェアアップデート管理システム(SUMS)との対応関係を確認することになります。ただし、既存のCSMSやSUMSを運用しているだけで、ADS GTRの要求を自動的に満たすとは限りません。CSMSやSUMSで管理している活動や証拠と、ADSのSMS・Safety caseとの整合をどのように確保するかが確認ポイントになります。
ADS GTRは車両を市場へ投入した後の安全性も対象とします。市販後監視・報告(ISMR:In-Service Monitoring and Reporting)では、メーカーが実際の走行データや安全関連事象を継続的に確認します。重大な事象などについては、所定の形式で関係当局へ報告する枠組みが示されています。また、DSSAD(Data Storage System for Automated Driving)はADSの作動状態や安全性能に関係するデータを記録・保存するシステムです。事故やインシデントの分析、安全対策の有効性確認などに利用されます。
ADS GTRへの対応では個別の安全機能が規定された要件を満たしているかを確認するだけでは十分ではありません。ODDの設定からシステム設計、シナリオの選定、検証、Safety case、市販後監視までをつなぎ、ADS全体として安全性を説明できる体制が重要になります。
そのため、これまで個別に管理してきた機能安全、SOTIF、サイバーセキュリティ、ソフトウェア更新、品質保証などの活動と成果物をADS全体の安全性という観点から整理する必要があります。例えば、UN-R155に基づくCSMSやUN-R156に基づくSUMSを運用している場合でも、それぞれの対応を完了させるだけではなく、そこで管理されるリスク、変更履歴、試験結果などがADSのSMSやSafety caseとどのように整合するのかを確認することが重要です。
安全性を検証する方法にも変化が求められます。実車試験の結果だけでなく、なぜそのシナリオを選定したのか、シミュレーションの結果をどこまで信頼できるのか、実走行試験とどのように組み合わせたのかなど、検証方法そのものの妥当性を説明する必要があります。そのため、試験結果だけではなく、シナリオの選定根拠、シミュレーションの信頼性、試験条件、結果までを追跡できる形で管理することが重要になります。また、こうした安全性の立証は車両開発の完了時点で終わりません。市場導入後はISMRによって実際の運行状況や安全関連事象を監視し、DSSADなどから得られるデータを分析する必要があります。ソフトウェア更新やシステム変更によって従来の安全性の前提が変わる場合には、その影響を確認し、必要に応じて安全性を示す証拠も見直すことになります。
このようにADS GTRが自動車産業に与える大きな変化は、安全性を「試験で確認する」だけでなく、継続的に説明できる状態を維持することが求められる点にあります。自動車メーカーやサプライヤー、ソフトウェア・セキュリティ企業を含む関連企業にとっては、自社の製品や開発プロセスがADS全体の安全性を示す証拠のどこに関係するのかを把握することが、対応を検討する第一歩となります。
ADS GTRの採択は、単に新たな自動車規則が加わったというだけではありません。ADSの設計、検証、安全管理、市販後の監視までを一つの流れとして捉え、ライフサイクル全体を通じて安全性を評価するための国際的に調和された技術的な枠組みが示されたことに大きな意味があります。定められた試験への適合だけで安全性を示すのではなく、ODDに応じたリスクを特定し、シミュレーション、テストコース、実走行試験などから得られた証拠を組み合わせ、SMSとSafety caseを通じて安全性を体系的に説明することが求められます。さらに、市場導入後もISMRなどを通じて実際の運行状況を継続的に確認することから、安全性の確保は開発・認証時点で完結するものではなくなります。
今後、各国・地域でADS GTRを踏まえた制度整備が進む中、自動車関連企業には、既存の開発プロセスや検証方法、安全管理、市販後のデータ管理を、ADSのライフサイクル全体という視点から捉え直すことが求められると考えられます。日本においても、国内制度への反映内容や適用時期を継続的に確認しながら、自社が保有する技術や安全性に関する証拠をどのようにADS全体の安全性立証につなげるかを整理しておくことが、今後の対応に向けた重要な準備となります。
参考文献
Proposal for a new United Nations Global Technical Regulation on Automated Driving Systems (ADS)